リンカーン・ゴーインズ インタヴュー

なぜベーシストになろうと思ったのですか。

 いつのころか低いサウンドが好きでした。ですからポップス、クラシック、ジャズなどの音楽を好んで聞き始めるといつでも耳は低音の方に傾いていました。気が付いたら結局ベースに行き着いていたわけです。ベーシストでは特にジャック・ブルース、チャーリー・ヘイデン、ジミー・ギャリソン、ポール・チェンバース、ジャック・キャッシディ、スティーヴ・スワロウ、エディ・ゴメス、エバーハルト・ウェーバー、ミロスラフ・ヴィトウス、ポール・ジャクソン、アルフォンソ・ジョンソン、ジャコ・パストリアス、スタンリー・クラーク、ボビー・ロドリゲスなどに影響を受けました。

音楽はどうやって学んだのでしょうか。

 小学校の頃にピアノとトランペットを習ったことがあります。高校生になって(16才ぐらいでしょうか)、ラジオで音楽をよく聞くようになっていましたまた家にあったレコードを聴いてはそれに合わせて兄弟の持っていたギターとかベースを弾いて楽しんでいました。

 60年代から70年代っていうのはある意味で音楽全盛の時代だったと思います。いろんな音楽がその当時に流行り出しました。特にサイケデリックとかソウルなどがその時代の象徴のようにもなっていました。その頃にジョン・コルトレーンの『至上の愛』を聴きました。もっとも同時代体験ではありませんでしたが、このアルバムを聴いたことでアコースティック・ベースに興味を持ち始めました。もちろんエレクトリック・ベースの練習も既に始めてはいましたが、『至上の愛』でのジミー・ギャリソンのプレイにノックアウトされてしまったのです。当時一番上の兄はカリフォルニアのバークリーで版画家として生計を立てていました。高校3年生の夏にその兄の版画の印刷のための手伝いをして資金を稼いで、やっとの思いでドイツ製の3クォーターのショート・スケールのアコースティック・ベースを手に入れることができました。その頃私も含めて家族の大半はカナダのヴァンクーヴァーに住んでいました。私はヴァンクーヴァー・シンフォニー・オーケストラの主席ダブルベーシストだったシドニー・キーツからレッスンを何回か受けました。私の父親は自分で稼いだ祝いとしてキーツのレッスン代を払ってくれました。同じ時期にチェロも何回かレンタルして練習してみましたが、初めての彼女が同じ時期にできて時間に余裕がなくなってベース一本に絞ることになってしまいました。 そうこうしているうちに自分の中で、音楽で自立したいという意識が高くなってきました。中でも特にジャズで独り立ちしたいと思い始めました。それからはフォームやハーモニーなどにも気を配りながら練習するようになっていきました。

 19才になってヴァンクーヴァーにあったストリップ・クラブで、ショーの合間に演奏するハウス・バンドのベーシストになることができました。当時私は吸収できるものなら全て吸収したいと思っていたので、ヴァンクーヴァーで行われたジャズの演奏は必ずチェックしに行いきまたし、ベーシストをつかまえてはいろいろ質問したり、レッスンを頼んだりもしました。 一度エディ・ゴメスのレッスンを受けたことがありますが、彼は代金を貰う代わりにヴァンクーヴァーの空港からエディの彼女をピックアップすることを頼まれました。私は快く承諾しましたが、空港の出迎えは父親に押し付けてしましました。 私は自分自身が少しシャイだと思っていますが、当時ベースや音楽のことになると恥じらいもなく自分からどんどん進んで質問してみたり、いろんな人の意見を聞いていたのを覚えています。

 ニューヨークへ来たのは77年のことです。その頃はジョー・サンティアゴの所に出入りしていろいろ吸収しようとしていました。もちろん彼からもレッスンを受けました。またできる限りクラブに行ってはライヴを聴いていました。特にセヴンス・アヴェニュー・サウスにあったブレッカー・ブラザースのクラブやアヴェニューBにあった以前の『ニューヨリカン・カフェ』にはよく行いました。アンディ・ゴンザレスのベースや彼の兄貴のジェリーのラテン・ジャズをよくチェックしたものです。朝方家に帰ってくると頭の中がいろんなアイディアでいっぱいになって興奮して眠れなかったことを今でもよく覚えています。そうこうしているうちに私はデイヴ・ヴァレンティンのレギュラー・ベーシストになることができました。これによってツアーに出たり、レコーディングを経験することで沢山の優れたミュージシャンと接する機会に恵まれるようになりました。一緒にジャム・セッションをしてみたりリハーサルで話をしてみたりと、今思えば掛替えのないものです。もっともそういったステージやスタジオでの思い出はいい思いでだけと限ったことではありませんが。

あなたが生徒にベースを教えているときに気をつけていることは。

 リズムやハーモニーに加えてベースのベースである部分、つまりフォーマットとして底辺やアウトラインをおさえている楽器であるということを理解してもらうように努めています。それとレイ・ブラウンが言っていた3語、「ネヴァー・ストップ・プラクティシング!」もよく生徒に言うことです。

それとポイントとして生徒に言うのは以下のことです。

  • 難しいものから先に練習してみる。そうすることにより以前は難しかったものが容易に感じられ、それに代わって新しいものが課題になる。ということは結果的に上達していることになる。
  • CDを聞いたり音楽の教則ビデオを見ると確かにヤル気になるし、いろいろなことを吸収することができる。けれどもそれが練習にとって代わるわけではないことを認識する。
  • 楽譜が読める、楽譜が書けるようにする。
  • グルーヴ感を身に付けるために実際のドラマーと練習する。
  • ジャンルにこだわらずいろんな音楽に耳を傾ける。
  • 曲を理解するのはその音楽自体を学ぶことであって、それを演奏しているミュージシャンの演奏を学ぶことではない。

    ベーシストがよいベーシストであるためには何を上達させるべきでしょうか。

    聴く力でしょうか。

    他には。

     音楽をオーケストレーションできる能力を付けることだと思います。ベースという楽器を音楽のポジションから言えば、まわりで繰り広げられている音楽をいかに整えるか、どういう方向性に持って行くかという舵取りの役目と言えます。つまり音とグルーヴとを関係付けさせ繋がりを持たせるようにしなければいけません。曲に一部を担っているものとして、書かれている部分を演奏したり、またはインプロヴィゼーションをしたり、さらにその両者を同時にしてみたりということで、我々は音楽に色を付けたり、躍動感や息吹を持たせたりということをしています。ジェームス・ジェマーソン、ロン・カーター、ジャコ・パストリアス、アンソニー・ジャクソンなどはその名手たちです。リズムとハーモニーに関する探求は尽きることがありません。ベースに対する考えやアプローチは自分の人生の写し出していると言えるかもしれません。

    ベースの将来についてはどう思われますか。

    明るいと思います。新進のベーシスト達はテクニックの面で優れているしそれにこれまでベーシストたちが培って来た多くの情報を持ち合わせています。それに私よりみな背が高いし・・・。

    『Afro-Cuban Grooves for Bass and Drums, Funkifying the Clave』が本と教則ビデオとしてドラマーのロビー・アミーンとの共著で出ていますが、これについてもう少し教えて下さい。

     これはアフロ・キューバのグルーヴをどうしたら他の音楽に生かせるかということを著わしています。アフロ・キューバのグルーヴはリズムの宝庫で本が出版された当時(90年)は(特にニューヨークの)ミュージシャンには知識として必要不可欠なものだったのです。が、たまたまアフロ・キューバのグルーヴが本としてまとめられていなかったのでこの本はラテン音楽のグルーヴのバイブルのようなものになりました。本を作るにあたって多くの優れたラテン音楽のミュージシャンと接していろいろなことを学ぶことができたのは私にとって大きな収穫でした。 ここをクリックして購入する

    よくある質問かもしれませんが、もしも孤島で独りで暮らすことになったとしたらどのミュージシャンの音楽を持って行きますか。10人あげて下さい。

     難しい質問ですね。う〜ん、バッハ、ストラヴィンスキー、オーネット・コールマン、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリクス、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィス、カチャオ、ウェザー・リポート、ビル・エヴァンスでしょうか。グループも可ですよね。もっとも明日また同じ質問を聞かれたら、リストがかわるかもしれないですね。

    フォデラのベースとエピファニのスピーカーを使うようになった経緯を教えて下さい。

     確か95年の事だと思います。自分のベースを売るためにジョーイ(・ローリセラ)とヴィニー(・フォデラ)の経営しているフォデラのショップに行きました。そこで私は目にしたものは世界の様々な木で、それから発せられるサウンドが全て異なることを知りました。あっという間に6時間が過ぎて、気がついたら彼等にベースを作ってもらうように頼んでいました。フォデラのことはアンソニー(・ジャクソン)、ヴィクター・ウーテン、ジェームス・ジナス、それに友人のイヴァン・イライアスを通してその存在は何となく知ってはいましたが、百聞は一見にしかずとはこの事でした。ショップにある木々と彼等の心意気には驚くものがありました。フォデラは私がかねてから考えていたベースを実際に製作してくれるたった一つの工房でした。彼等はベース製作のテクニック、ベースに対するヴィジョン、それにプレーヤーからの要求や意見を汲み取ってそれを楽器にしていく優れたクラフトマンの集合なのです。

     ニック(・エピファニ)を知ったのはフォデラを通してです。ニックは12インチ・スピーカーが2台付いているキャビネットをニューヨークのブルーノートで演奏しているときに持って来てくれて試奏してみたのが始まりです。使ってみて音がクリアでしかもダイレクトなサウンドが得られることに驚ろかされました。私はまさにそういったサウンドをスピーカーに求めていたので、それ以来エピファニを使用しています。また、ニックはサウンドに対する探究心が旺盛なので絶えず彼のスピーカーが進化しているのも頼もしいところです。

    ところで33インチ・スケールのベースのアイディアはどうやって出て来たのですか。

     99年の事だったと思います。私はヴィニーとジョーイにコンパクトなベースのアイディアを出していました。私は腕のリーチがあまりありません。もしベースのスケールが長いとそれだけ左手に掛かる負担が大きくなるわけで、特に5弦ベースでいえばB弦で満足のいくサウンドを出すのに苦労する。というわけでベースがもっとコンパクトになればその問題が解決されるわけです。ただしそういったベースはそれなりに熟練された者にしか作れない。ヴィニーとジョーイならばこういったベースの製作が可能だということが分かっていたから相談もしたわけで、実際に私の持っている34インチ・スケールのベースと材質を変えないで作ってもらうことにしました。一つだけかえたのはB弦のペグの位置をそれまでのものより高いところに付けることでした。フォデラでは“エクステンデッド・ローB”といわれているペグ・スタイルです。結果的にそれまでより弦が長く張れることでテンションが強くなり良いサウンドが得られる訳です。  彼等の腕に対しては何の不安もなかったので33インチになっても質の高いベースができることを信じていました。出来たものに対しては本当に満足しているし、今ではそれをメインの楽器としてツアーに出る時に使用しています。コンパクトなので移動の際にはとても楽なので重宝しています。 ちなみにリンカーン・ゴーインズ、シグニチャー・モデルの仕様は34(33)インチ、24フレットのネック・スルーです。ネックの材質はアッシュ、指板はブラック・エボニー、ボディはソリッドのハワイアン・コアでトップ・ウッドは張っていません。ネックは良質の低音のサウンドを得られるようにいくぶん厚めになっています。ピックアップはダンカンのデュアル・コイルが一つで、ポジションはジョーイの助言から通常よりブリッジに近い方がよいヴォイシングが得られたのでそうしてあります。サーキットはポープ/フォデラのものですが、ヴォリューム・ノブが一つついているだけにしてあり、他に調節できるノブやタブ・スイッチなどはありません。たくさんノブなどがあるとそれに振り回されて結局は自分の思い通りのサウンドを作り出せないことがあります。自分自身があくまでもベースをコントロールするのであって、ベースにコントロールされてはいけません。ベースから出されるサウンドに気を取られてしまって肝心な音楽に対する自分の役割を果たせなければ、全く意味がなくなってしまいますからね。